
ウトロ51番地
こんにちは秀吉ヤングです!
今回は、超有名裏スポットと言っても過言ではない京都にある「ウトロ地区」をご紹介したいと思います。
京都のウトロといえば、5chやSNSなどのネット上では、
「日本の行ってはいけない危険な場所」
「西成に並ぶスラム」
「やばい地域」
「怖い地域」
「不法占拠エリア」
「危険地帯」
などと書かれていていることでも有名な場所です。
今回は、ネット上で書かれていることは本当なのかを確かめるため、実際に行ってきました!
ウトロとは

まずはじめに「ウトロ」とは、京都府宇治市伊勢田町51番地ウトロ地区のことを指します。
現在では住宅地が広がるエリアですが、ウトロ地区はその中でも独特な歴史を持ち、在日韓国・朝鮮人のコミュニティが形成されていることで知られています。
ウトロ地区は、元々戦時中に飛行場建設のために集められた朝鮮人労働者とその家族が住む飯場として機能していた場所でした。
工事には、約2000名が建設に関わっており、そのうちのほとんどが朝鮮人労働者でした。
しかし、1945年の米軍による爆撃と終戦によって、飛行場の建設は中止になりました。
そして、多くの朝鮮人労働者は母国に帰りましたが、帰国を拒否した朝鮮人労働者が不法占拠という形でこの土地に住み続けました。
この住み続けていた人たちで形成された集落が、「ウトロ51番地」と呼ばれる集落になりました。
ここに住む住人たちは、不法占拠として行政に扱われていたため、上下水道の整備などが遅れ、長年劣悪な環境下で生活を強いられきました。
以下がウトロの歴史になります。
ウトロ地区の歴史
戦時中の軍需工場建設と朝鮮人労働者
ウトロ地区の起源は、第二次世界大戦中(1941~1945年)に日本軍が建設を進めていた飛行場の軍需工場にさかのぼります。1941年、日本の軍需産業を担っていた「日産自動車飛行場建設会社」が、この地域に軍用飛行場を建設する計画を立てました。この工事には、大勢の労働者が必要とされ、多くの朝鮮人労働者が日本各地から徴用されました。
しかし、1945年に終戦を迎え、軍需工場の建設は中止。戦後、日本国内に残った朝鮮人労働者の多くが帰国する一方で、経済的な事情や政治的な混乱により帰国が困難になった人々がいました。彼らはこのウトロ地区に住み続けることを選び、簡易なバラック住宅を建てて共同生活を始めました。
戦後の土地問題と生活環境
戦後、ウトロ地区は**「所有者不明の土地」**という曖昧な状態が続きました。もともとこの土地は、日本政府や軍が管理していたもので、戦後は「日産自動車の関連会社」が所有権を持つことになりました。しかし、住民たちは正式な賃貸契約などがないまま住み続けていたため、土地の権利をめぐる問題が発生します。
1987年には、土地の所有者であった不動産会社がこの地域を民間企業に売却。新たな所有者は、ウトロ地区の住民に対し「立ち退き」を求めるようになります。この頃から、ウトロ地区は「強制立ち退き問題」として社会的な注目を集めるようになりました。
住民の立ち退き闘争と国際的支援
立ち退きが求められる中、ウトロ地区の住民たちは「住む場所を奪われるわけにはいかない」として、日本国内だけでなく韓国や国際社会に向けても支援を呼びかけました。これを受けて、韓国政府や在日韓国人コミュニティが支援を行い、ウトロ地区を守るための活動が広がりました。
2007年には、韓国政府の支援を受けて、ウトロ地区の土地の一部が「ウトロ住民の共同購入」という形で取得され、一部の住民は正式な居住権を得ることができました。その後も京都府や宇治市が協力し、インフラの整備が進められ、ウトロ地区の住環境は改善されていきました。
現在のウトロ地区と「ウトロ平和祈念館」
2022年4月には、「ウトロ地区の歴史と在日コリアンの歩み」を伝えるための施設として「ウトロ平和祈念館」が開館しました。この施設では、ウトロ地区の歴史を詳しく紹介し、戦争や人権、差別の問題について考える場を提供しています。また、地域内には新しい住宅も建設され、住民の生活環境も向上しています。
しかし、現在もウトロ地区には歴史的な背景からくる偏見や差別の問題が根強く残っており、2021年には放火事件が発生するなど、地域の安全に対する課題もあります。そのため、ウトロ地区の歴史を正しく理解し、未来へとつなげていくことが重要とされています。
場所
ウトロ地区は、京都府宇治市伊勢田町に位置する地域で、宇治市の北西部に位置しています。
最寄り駅は近鉄京都線の「伊勢田駅」や「大久保駅」で、京都市中心部からは電車や車で約30~40分の距離にあります。

上記の地図で、紫色で囲われている範囲が「ウトロ」と呼ばれる地区です。
この地図から範囲としては小さいということがわかります。

実際に行ったのは、近鉄京都線「伊勢田駅」からです。
伊勢田駅からウトロ地区までは、徒歩10~15分くらいです。
ウトロへ
先程の伊勢田駅からウトロを目指して歩いていきます。
まずはじめに目についたのが共産党のポスターです。

その近くには、参議院議員の看板も


進むこと10分、住宅地の中を抜け歩いているといい感じの長屋が出てきてテンションが徐々に上がってきました。

ウトロ到着
歩くこと15分、道路上になにやらネット上でよく目にする「有名な看板」を発見!!

廃屋に立てられた看板をよく見ると日本語と韓国語で書かれています。
その横にもいっぱい看板がありました。


これらの看板から、このウトロ地区が悲しい歴史をたどってきたことがわかります。

ウトロでは、不法占拠問題で国から立ち退きを命じられたり、右○団体からのヘイトスピーチの対象になったり、戦争問題・人権問題を始め様々な問題が起きました。
戦時中に朝鮮人労働者が住み始めた経緯や、戦後の土地問題・立ち退き問題などについてを後世に伝えるべく、ウトロの住民がこれらの看板を設置されたのではないでしょうか。
ウトロ潜入
看板を一通り見た後は、「ウトロ地区」の散策&潜入です。


このウトロ地区に入って最初に思った感想は、
「廃墟化した家ばっかやな~」です。
どの家を見てみても、ぱっと見完全に廃墟です。



廃バラック小屋
ぐるっと一周回ってみると、中を見ることができそうな小さな廃バラック小屋を発見!

中を覗いてみるとまさかのお風呂とトイレでした。

ちゃんと浴槽も沸かし器っぽいのもあります。

しかし、トイレはやっぱりぼっとん便所!
時代を感じます。
廃屋①
次に歩いていると普通の民家を見つけました。

でも近づいてよく見てみると...

「えっ!何これ...」

普通の民家かと思ったら窓ガラスは割れていて、家の中の家具とかは残された状態でした。
夜逃げでもしたのかと思うレベル。
他の民家も覗いてみると…

ドアは開いていました

教科書に載ってる「高度経済成長期の庶民の暮らし」みたいな部屋のレイアウト。
ここも家具とか置きっぱなしで廃屋になっていました。
廃屋②
今度は立派な一軒家を発見!
見た感じだと人が住んでそうですが、表札はなく廃屋でした。

そして、この家の近くには家の中の家具が全て放り出されてる!


ここは粗大ごみを捨てる場所なのか、それとも何らかの事情で家の家具を全て出されたのかどちらなのでしょうか。
謎は深まるばかりです…笑
普通の民家とエルファ
ウトロ地区では、廃屋が多いものの、普通の民家も残っていました。
あきらかにバラックみたいな家から普通の一軒家まで色々あるのが面白いです。


町内会もあるみたいです。

そして、「南山城同胞生活綜合センターエルファ」という建物も発見しました。

調べたところによると、エルファは、「朝○総連」の施設で在日朝鮮人の方向けの相談や手続きなどをする施設みたいです。
このような施設があるのもウトロならではなのではないでしょうか。
最後に

現在ウトロでは韓国政府が公式に土地を購入して不法占拠の問題は解決されたようです。
さらに、バラックや廃屋化していた家に住んでいた住人の多くは、ウトロ地区内に新しく建てられた市営住宅に移り住んでいるとのことです。

しかし、住民の中には「強制退去 決死反対」という看板を立てたり、立ち退きに反対している人も少なくありません。
これら多くの問題が本当の意味で解決することはあるのでしょうか。
最後に、ウトロ地区は、戦時中の軍需工場建設に従事した朝鮮人労働者が住み続けたことから始まり、戦後も「土地問題」「立ち退き問題」などの困難を抱えながら、住民の努力と国際的な支援を受けて存続してきた地域です。
現在は「ウトロ平和祈念館」が開館し、過去の歴史を伝えながら、住民の生活改善が進められています。
しかし、偏見や差別の問題がいまだに残るなど、解決すべき課題も多く、今後も注目される地域のひとつです。

コメント
[…] ウトロ地区は、近鉄京都線「伊勢田駅」から徒歩10~15分の場所にあります。この地区は、住み続けていた人たちで形成された集落で、「ウトロ51番地」と呼ばれています。ウトロ地区は地図上では紫色で囲われており、範囲としては小さいです。ウトロへ向かう途中には共産党のポスターや参議院議員の看板があり、テンションが上がるような雰囲気が漂っています。 詳しくみる ⇒ 参照元: 【京都】ウトロ地区【激ヤバ潜入】 […]
[…] ウトロ地区は、京都府宇治市伊勢田町に位置する場所で、戦時中に飛行場建設のために朝鮮人労働者とその家族が住む飯場として機能していました。しかし、1945年の米軍による爆撃により、飛行場の建設は中止されました。ウトロ地区はネット上で「日本の行ってはいけない危険な場所」として有名であり、その評判を確かめるために実際に潜入取材が行われました。 詳しくみる ⇒ 参照元: 【京都】ウトロ地区【激ヤバ潜入】 […]
[…] ウトロ地区は、バラックや廃屋化した家があり、在日朝鮮人向けの施設も存在する。現在は韓国政府が土地を購入し、不法占拠の問題は解決されたようだが、一部の住民は立ち退きに反対している。今後、ウトロ地区の未来が注目されている。 詳しくみる ⇒ 参照元: 【京都】ウトロ地区【激ヤバ潜入】 […]
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