【潜入レポート】京都ウトロ地区の秘密:悲しい歴史と廃墟化の真実”

【京都】

ウトロ51番地

【激ヤバ潜入】

こんにちは秀吉ヤングです!

今回は、超有名裏スポットと言っても過言ではない京都にある「ウトロ地区」をご紹介したいと思います。

2ch等のネット上では、
「日本の行ってはいけない危険な場所」
「西成に並ぶスラム」
「やばい地域」
「怖い地域」
「不法占拠エリア」
などと書かれていていることでも有名な場所です。

ネット上で書かれていることは本当なのかを確かめるため、実際に行ってきました!

※この記事では、政治的な主張等は一切ありません。不快に思われる方は、この記事を読まないでください。

ウトロとは

まずはじめに「ウトロ」とは、京都府宇治市伊勢田町51番地ウトロ地区のことを指します。

ウトロ地区は、戦時中に飛行場建設のために集められた朝鮮人労働者とその家族が住む飯場として機能していた場所でした。


しかし、1945年の米軍による爆撃により、飛行場の建設はストップ。

そして、終戦により、多くの朝鮮人労働者は母国に帰りましたが、帰国を拒否した朝鮮人労働者が不法占拠という形でこの土地に住み続けました。

この住み続けていた人たちで形成された集落が、「ウトロ51番地」と呼ばれる集落になりました。

場所

上記の地図で、紫色で囲われている範囲が「ウトロ」と呼ばれる地区です。
この地図から範囲としては小さいということがわかります。

最寄り駅は、近鉄京都線「伊勢田駅」

伊勢田駅からウトロ地区までは、徒歩10~15分くらいです。

ウトロへ

先程の伊勢田駅からウトロを目指して歩いていきます。

まずはじめに目についたのが共産党のポスターです。

その近くには、参議院議員の看板も

進むこと10分、住宅地の中を抜け歩いているといい感じの長屋が出てきてテンションが徐々に上がってきました。

ウトロ到着

歩くこと15分、道路上になにやらネット上でよく目にする「有名な看板」を発見!!

廃屋に立てられた看板をよく見ると日本語と韓国語で書かれています。

その横にもいっぱい看板がありました。

ウトロは反戦の記念碑

ウトロに愛を

これらの看板から、このウトロ地区が悲しい歴史をたどってきたことがわかります。

オモニ(お母さん)のうた


ウトロでは、不法占拠問題で国から立ち退きを命じられたり、右○団体からのヘイトスピーチの対象になったり、戦争問題・人権問題を始め様々な問題が起きました。

それらの問題を後世に伝えるべく、ウトロの住民がこれらの看板が作成されたのではないでしょうか。

ウトロ潜入

看板を一通り見た後は、「ウトロ地区」の散策&潜入です。

電柱に「ウトロ」の文字が


このウトロ地区に入って最初に思った感想は、
「廃墟化した家ばっかやな~」です。

どの家を見てみても、ぱっと見完全に廃墟です。

バラック小屋

ゴミも散乱

ここは人が住んでそう

廃バラック小屋

ぐるっと一周回ってみると、中を見ることができそうな小さな廃バラック小屋を発見!

中を覗いてみるとまさかのお風呂とトイレでした。

ちゃんと浴槽も沸かし器っぽいのもあります。

しかし、トイレはやっぱりぼっとん便所!

時代を感じます。

廃屋①

次に歩いていると普通の民家を見つけました。

でも近づいてよく見てみると...

「えっ!何これ...」

普通の民家かと思ったら窓ガラスは割れていて、家の中の家具とかは残された状態でした。

夜逃げでもしたのかと思うレベル。

他の民家も覗いてみると…

ドアは開いていました

教科書に載ってる「高度経済成長期の庶民の暮らし」みたいな部屋のレイアウト。

ここも家具とか置きっぱなしで廃屋になっていました。

廃屋②

今度は立派な一軒家を発見!

見た感じだと人が住んでそうですが、表札はなく廃屋でした。

そして、この家の近くには家の中の家具が全て放り出されてる!

ここは粗大ごみを捨てる場所なのか、それとも何らかの事情で家の家具を全て出されたのかどちらなのでしょうか。

謎は深まるばかりです…笑

普通の民家とエルファ

ウトロ地区では、廃屋が多いものの、普通の民家も残っていました。

あきらかにバラックみたいな家から普通の一軒家まで色々あるのが面白いです。

町内会もあるみたいです。

ウトロ町内会の消化器ボックス

そして、「南山城同胞生活綜合センターエルファ」という建物も発見しました。

調べたところによると、エルファは、「朝○総連」の施設で在日朝鮮人の方向けの相談や手続きなどをする施設みたいです。

このような施設があるのもウトロならではなのではないでしょうか。

最後に

最後に、現在ウトロでは韓国政府が公式に土地を購入して不法占拠の問題は解決されたようです。

さらに、バラックや廃屋化していた家に住んでいた住人の多くは、ウトロ地区内に新しく建てられた市営住宅に移り住んでいるとのことです。

しかし、住民の中には「強制退去 決死反対」という看板を立てたり、立ち退きに反対している人も少なくありません。


これら多くの問題が本当の意味で解決することはあるのでしょうか。

今後、このウトロ地区はどのようになるのか興味深いです。

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