大阪市中央区の近代建築完全ガイド:歴史と美を巡る旅

【大阪市中央区】
近代建築 完全ガイド

こんにちは!秀吉ヤングです。

みなさんは大阪市中央区に多くの近代建築が数多く現存するのをご存じでしょうか?

1920年~1930年代に大阪市は、人口・工業出荷額が日本一であり、現在の首都である東京よりも発展していて「大大阪時代」と呼ばれていました。

その当時に建てられて現在も残っている美しい近代建築を中心にみなさんにご紹介していきたいと思います。

大阪倶楽部

まずはじめにご紹介するのが、大阪の近代三大名建築の一つである「大阪倶楽部」です。

大阪倶楽部は、1912年に大阪の有識者が集う紳士の社交倶楽部を作るために設立されました。

建物は野口孫市の設計で1914年に建てられましたが、1922年の火災によって焼失しました。

その後、1924年に安井武雄の設計で再建され、会員制の社交倶楽部として現在も使われています。

また、第二次世界大戦中には海軍が大阪俱楽部の建物を徴用しましたが、敗戦後はGHQに接収されていたという歴史もあります。

入口のマークが秘密結社っぽくて好き

建物自体は鉄筋コンクリート造地上4階地下1階建で、外観はヨーロッパ調、装飾や彫刻などは東洋風の様々な文化がミックスされた外観になっています。

壁面には花柄のステンドグラスが取り付けられた窓もあります。

屋上にはゴルフ場、他の階は講演会が開催されるホールや会議室、ビリヤード場に食堂や理髪店があります。

しかし、公開見学会やコンサート等のイベント以外は一般人の立ち入りは禁止されています。

理由は、大阪倶楽部は発足当初から会員制のクラブであるからです。

大阪倶楽部の会員になるには、男性で2名以上の会員の推薦が必要とのことです。
(フリーメイソンみたいな秘密結社っぽくて憧れます笑)

会員は財界の有名人や企業の会長や社長が多いため、推薦してもらう難易度はかなり高めです。

1997年には登録有形文化財に指定され、2009年には近代化産業遺産に指定されました。

伏見ビル

「伏見ビル」は、1923年に長田岩次郎の設計で建てられた鉄筋コンクリート造の4階建ビルです。

3階の窓の上にある十字の装飾や1階の丸窓が特徴のアールデコ様式の建物です。

当時は「澤野ビル」という名前で、ホテルとして利用されていましたが、昭和初期にビルの所有者が変わってからはテナントビルとして利用されています。

青山ビル

先ほど紹介した「伏見ビル」の隣にあるのは、1921年に建てられた鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建ての蔦に覆われた「青山ビル」です。

元々は、輸入食料品店の経営者である野田源次郎の個人邸宅として建てられました。

野田源次郎は、西園寺公望とともにヨーロッパに留学していたため、自宅を造る際にヨーロッパ風の「スパニッシュスタイル」にしたと言われています。

1921年当時は地下1階地上3階建てで造られましたが、1951年に4階と5階を増築したそうです。

歴史としては、戦後に青山ビルはGHQに接収されそうになったが、GHQの将校の施設としての利用することを条件に交渉して接収を免れることができました。

青山ビルの外壁は完全に蔦で覆われていることでも有名です。

この蔦は先代が甲子園球場から株分けしてもらったものだそうです。

現在は、飲食店やギャラリーなどが入ったテナントビルになっています。

三ツ山石井歯科(三ツ山家住宅旧主屋)

「三ツ山石井歯科(三ツ山家住宅旧主屋)」は、立島幸助設計の1926年に建てられた鉄筋コンクリート造地上4階建のビルです。

登録有形文化財にも指定されている歴史的価値の高い建造物です。

建物自体は三ツ山石井歯科として利用されていましたが、現在はやっていないそうです。

派手な装飾ないが、角の丸みやシンプルなデザインから近代建築の美しさが見てとれます。

新井ビル

「新井ビル」は、1922年に報徳銀行大阪支店として建てられた河合浩蔵設計の鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建てのビルです。

外観は、1階部分は銀行っぽい石柱のある石積みで、2階から4階部分はタイル張りになっています。

入り口は左右で2カ所あり、左側入口は「GOKAN」というビル内にある人気洋菓子店の入口になっています。

右側入口を入るとこのような3、4階へ行くための吹き抜けの階段があります。

当時、この階段の中心部分にはエレベーターがありました。

しかし、戦争での金属類回収令でエレベーターは撤去されてしまったそうです。

エレベーターはなくなっていても、当時の木製の手すりや窓枠から歴史を感じることができます。

また歴史としては、1927年の昭和金融恐慌で報徳銀行は倒産してしまいます。

その後、新井末吉が新井証券を設立し、1934年に新井証券の本店としてこのビルを買い取り「新井ビル」と名付けられました。

3階、4階の貸オフィスの部屋は少し狭いですが、建築事務所やデザイン事務所などが入っています。

岸本瓦町邸

「岸本瓦町邸」は、1931年に岸本商店の5代目岸本吉左衛門の本邸として笹川慎一設計で建てられた鉄筋コンクリート造2階建の邸宅です。

外壁は笹川慎一が設計した旧住友ビルディングと同じ龍山石の石貼りで、居間にはマントルピースがあります。

小川香料大阪支店社屋

「小川香料大阪支店社屋」は、1930年に香料メーカーである小川香料の社屋として本間乙彦設計で建てられた鉄筋コンクリート造一部鉄骨造地上3階地下1階建ての社屋です。

当時は玄関の上部にアールデコ様式の八角形のステンドグラスの装飾がありましたが、2019年の改修で現在の円形の玄関になりステンドグラスは見れなくなったように思われましたが、現在も玄関ロビーを入ってすぐの横の壁に当時のステンドグラスが展示されているそうです。

今橋ビルヂング(旧大阪市中央消防署今橋出張所)

「今橋ビルヂング(旧大阪市中央消防署今橋出張所)」は、1925年に建築されたチューダーアーチ状の窓が特徴的な鉄筋コンクリート造3階建てのビルです。

建築当時は大阪市中央消防署今橋出張所として利用されていました。

1階部分は消防車の車庫で、2階3階が消防士の待機室になっていたそうです。

現在は1階部分に「アンティカ・オステリア・ダル・ポンピエーレ」という本格的なイタリアンレストランが入っています。

ちなみに店名の前半のアンティカ・オステリアは「古い飲食店」、後半のダル・ポンピエーレは「消防士」という意味だそうです。

日本基督教団浪花教会

「日本基督教団浪花教会」は、1930年に建てられた大丸心斎橋店本館の設計や日本にメンソレータムを普及させたことで有名なウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計の教会です。

建物はゴシック様式で、尖塔アーチのカラフルな色ガラスが特徴的です。

武田道修町ビル

「武田道修町ビル」は、1928年に「株式会社武田長兵衞商店」(製薬会社の武田薬品)の本店として松室重光の設計で建てられた鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建てのビルです。

武田道修町ビルのある道修町は、「薬の街」として有名であり、周辺には製薬会社がたくさんあります。

外観はレンガっぽいタイル張りでシンプルなデザインです。

ビルの1階には「杏雨書屋」という薬に関する資料館があります。

高麗橋野村ビル

「高麗橋野村ビル」は、1927年に安井武雄の設計で建てられた鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建ての野村財閥のビルです。

外観は昭和モダンな雰囲気を感じることができます。


階層ごとに日本瓦を利用しているが西洋的な装飾が特徴的です。

三井住友銀行 大阪中央支店

「三井住友銀行 大阪中央支店」は、1936年に三井銀行の大阪支店として建てられた銀行です。

現在でも三井住友銀行大阪中央支店として利用されています。

場所は先ほど紹介した高麗橋野村ビルの真正面にあります。

建物正面にはジャイアントオーダーがあり、古典主義様式な銀行建築の代表的な造りになっています。

原田産業株式会社 大阪本社ビル

「原田産業株式会社 大阪本社ビル」は、1928年に小笠原鈅の設計で建てられた鉄筋コンクリート造2階建てのビルです。

外観はあえて石張で左右非対称にしており、大きなガラス窓の前にはバルコニーがつけられています。

内部のエントランスは吹き抜けになっていて、美しい曲線を描く階段が特徴的です。

階段や電飾には細部にまでこだわった装飾が目を引きます。

2階の仏間は応接室になっていてレトロかつ洗練された雰囲気を味わうことができます。

ちなみに、原田産業株式会社は半導体などの産業資材の輸入などを行う総合商社で1923年から続く歴史の古い会社です。

さいごに

みなさんいかがだったでしょうか?

これで大阪市中央区にある近代建築の紹介を終わります。

今回紹介した建物の中で気に入ったものがありましたら是非自分で足を運んでみてください。

ありがとうございました!

さいごに、今回紹介していない大阪市中央区の代表的な近代建築である「芝川ビル」「生駒ビルヂング」「大阪ガスビル」「大阪農林会館」「綿業会館」は以下の記事で詳しく紹介しています。

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