【廃墟】旧大阪砲兵工廠跡地【戦争遺跡】

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【旧大阪砲兵工廠跡地】
旧陸軍第四師団司令部庁舎
化学分析場跡 etc.

こんにちは!秀吉ヤングです。

みなさんは、現在の大阪城公園の周辺一帯が、かつて大阪砲兵工廠と呼ばれる東洋一の軍事工場だったことをご存知でしょうか?

今回は、その大阪城公園周辺の旧大阪砲兵工廠跡に残っている

旧陸軍第四師団司令部庁舎」
「旧大阪砲兵工廠 化学分析場跡」

「旧大阪砲兵工廠 守衛詰所」
「荷揚げ門」
「大阪陸軍兵器支廠本部門」

の5つの施設を順番にご紹介していきたいと思います。

旧大阪砲兵工廠とは

現在の大阪城公園は、大阪城をはじめ大阪城ホールやランニングコース、春にはお花見で有名な市民に愛される公園として知られています。

しかし、かつては「大阪砲兵工廠」と呼ばれる東洋一の軍事工場として、敗戦までの間、旧陸軍の兵器を作り続けていました。

太平洋戦争末期には、戦争特需により敷地面積は約40万坪にまで広がり、約6万人もの人々が働いていたと言われています。

上の地図の赤い線で囲われているのが、「大阪砲兵工廠」の敷地です。


この地図からかなり広大な敷地面積を誇っていたことがわかります。

しかし、このように大きな兵器工場も、日本が戦争に負けると共に終わりを迎えることになります。

それは、1945年8月14日(終戦の前日)、 大阪砲兵工廠を狙った第8回大阪大空襲集中爆撃で、工場のほとんどが焼き尽くされてしまいました。

そして、戦後は不発弾が数多く残っていて危険ということから、約20年ほど更地として放置されていました。

その後、1952年に大阪城公園を作るため整備が行われました。

大阪砲兵工廠について少し理解した上で、現在の「大阪砲兵工廠跡地」に残る旧陸軍の軍事施設を紹介していきたいと思います。

旧陸軍第四師団司令部庁舎

「旧陸軍第四師団司令部庁舎」は、1931年に陸軍第四師団司令部庁舎として建てられました。

その後、第二次世界大戦時には「中部軍司令部」の庁舎として使われることになります。

大阪大空襲では、特の大きな被害もなく、戦後はGHQにより接収され管理されていました。

大阪城との対比

1948年にGHQによる接収は解除され、その後は「大阪市警視庁」の庁舎として利用されてきました。

現在の大阪府警察本部(大阪城公園のすぐ近く)

1958年に「大阪府警察本部」が移転すると同時に、改修工事が行われ、
1960年に「大阪市立博物館」がオープンし、2001年の閉館まで大阪の歴史に関する資料を展示する博物館として、数多くの人たちが訪れました。

「大阪市立博物館」の閉館後は再利用の話はなく、廃墟状態となってしまいます。

しかし、2015年に「大阪城パークマネジメント株式会社」がこの廃墟化した建物を管理することなり、2017年には、おしゃれなレストランやカフェなどが入る複合施設「ミライザ大阪城」としてこの建物が再び利用されるようになりました。

ミライザ大阪城正面入口

大阪城天守閣から見た旧第四師団司令部庁舎

旧大阪砲兵工廠 化学分析場跡

この要塞のような建物は、
「旧大阪砲兵工廠 化学分析場」です。

「化学分析場」とは、主に毒ガスなどの化学兵器の開発や化学実験が行われていた施設です。

この建物も大阪大空襲の際、「旧陸軍第四師団司令部庁舎」と同じく、大きな被害はありませんでした。

そのため、戦後は大阪大学工学部の校舎、現在の自衛隊大阪地方協力本部の前身である「自衛隊大阪地方連絡部」として利用されました。

1998年に自衛隊が撤退すると建物自体の再利用はされることなく、現在も廃墟として大阪城公園の北側にひっそりと残っています。

正面から建物を見るとこのような感じです。

建物の前には施錠された門があり、
奥はフェンスで囲まれていて中に入ることはできません

施錠され管理されている

「旧大阪砲兵工廠 化学分析場」の設計は、
当時、砲兵工廠建築部に所属していた置塩章です。

置塩章は、「兵庫県章のデザイン」や「旧尼崎警察署」、「兵庫県会議事堂」を始めとする多くの公共建築物を手掛けた関西を代表する建築家の一人です。

建物自体は、レンガ造り「ネオ・ルネサンス様式」で、内部は「地上2階、地下1階」といった造りになっています。

旧大阪砲兵工廠化学分析場は、現在も具体的な活用方法などは未定とされており、大阪市はこの歴史的価値の高い建物をどのように活用していくかが気になります。

旧大阪砲兵工廠 守衛詰所

この今にも崩れそうな建物は、
「旧大阪砲兵工廠 守衛詰所」です。

場所は、化学分析場のすぐ近くになります。

他のサイトではトイレと紹介しているところもありますが、当時は守衛詰所として機能していたとされています。

長い間放置されていたからか、損傷が激しくレンガが一部崩れていました。

危険なため、周りは工事用フェンスで囲まれています。

守衛詰所付近には、当時のものとされるレンガの壁が少し残されていました。

荷揚げ門

大川沿いにある大きな石造門は、 砲兵工廠の「荷揚げ門」として活用されていました。

この荷揚げ門は、兵器を作る際に使用する材料や兵器などを川から工場へ荷揚げするために作られました。

当時、荷揚げ門の天井には、滑車がついていて小型船などはそのまま入れるようになっていました。

現在、この荷揚げ門は柵で封鎖されていて、立入禁止となっています。

大阪陸軍兵器支廠本部門

この立派なレンガ造りの門は
「大阪陸軍兵器支廠本部門」です。

「大阪陸軍兵器支廠」とは、大阪砲兵工廠で作られた兵器の保管や修理行うする場所として機能していた施設です。

現在は、門と周りを囲む壁しか残っておらず、内部は「大阪城公園城内詰所」として大阪城公園を管理する職員の詰所となっているため、立入禁止となっています。

レンガ作りの壁は比較的良好な状態で残されている

最後に

以上で大阪城公園内に残る「旧大阪砲兵工廠跡地」の紹介記事を終わります。

個人的には、 旧大阪砲兵工廠跡地に侵入して鉄くずを盗み生計を立てていたとされる「アパッチ族」を題材とした小説『夜を賭けて』『日本三文オペラ』(どっちもめっちゃおもろい)の舞台になった場所なので、それについても書きたかったのですが、長くなりそうなのでまた別の機会にご紹介できたらと思います。

「旧陸軍第四師団司令部庁舎」
(現ミライザ大阪城)
・「旧大阪砲兵工廠化学分析場跡」
・「旧大阪砲兵工廠守衛詰所」
・「荷揚げ門」
・「大阪陸軍兵器支廠本部門」

(現大阪城公園城内詰所)

最後に、上記の場所の地図を貼っておきますので、大阪城公園に行かれた際は今回の記事を参考に「旧大阪砲兵工廠跡地巡り」をしてみてはいかがでしょうか。

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