東住吉 矢田地区
こんにちは!秀吉ヤングです。
今回は、大阪市東住吉区にある「矢田地区」の廃墟化した同○対策事業関係の公共施設をご紹介していきたいと思います。
※この記事に差別的な意図はありません。不快に思われる方は続きを見ないで下さい。
矢田地区とは
大阪市東住吉区にある「矢田地区」 とは、東住吉区の南西部にある町名です。
この矢田地区は、過去に部○解放運動で有名だった土地でもあります。
矢田における戦後の部○解放運動は、1951年の「結婚差別事件」をきっかけに1952年発足した「矢田村富田青年会」によって始まる。
1954年の「硫酸事件」への取り組み、全国初の自動車運転免許証取得運動、1956年の「金属屑営業条例」反対闘争、1958年の「住宅要求期成同盟」の結成、「生業資金獲得期成同盟」の結成を経て部○解放同盟矢田支部が結成される。
矢田 (大阪市) – Wikipedia より引用
このように、矢田では「部○解放同盟矢田支部」が結成されました。
1969年には、部○解放同盟が中学校教師を糾弾し監禁するといった「矢田事件」と呼ばれる事件が起きた場所としても知られています。
矢田地区の歴史を理解した上で、 大阪市が同○対策事業関係の公共施設として建てた施設を紹介していきます。
市民交流センターひがしすみよし
「市民交流センターひがしすみよし」は、
大阪市による同○対策事業のひとつとして建てられた建物です。
市民のイベントや交流を目的とした社会福祉施設でしたが、2016年3月31日に閉館しました。
閉館理由としては、当時の大阪市長であった橋下市長が「市政改革プラン」を行いました。
その際に、 市民交流センターの運営が財政を圧迫しているとして、大阪市内にあった全て(計9つ)の施設を閉館することが決定したからとのことです。
外観はコンクリート造りで、建築物としてもデザイン性が高く、非常に面白い建物です。
現在は閉館しているため、建物付近は雑草が生い茂っています。
コンクリート壁が崩れていたり、ガラスが割られた窓もありました。
がっつり割られていて、割れたガラス片も残されている状態です。
ガラス越しから中を見てみると、物置などが放置されていて完全に廃墟化しています。
入り口は全て施錠されており、中に入ることはできません。
部○解放 矢田老人センター
「部○解放 矢田老人センター 」は、
現在も建物看板に「部○解放」と書かれています。
この施設は老人センターのため、矢田地域の高齢者の憩いの場として利用されていたと思われます。
正面から見ると建物自体はとてもきれいです。
しかし、こちらも閉館してから長い年月が経っているせいか裏側へまわると…
ものすごい雑草が生い茂っていました笑
柵も立てられており「立入禁止」と書かれています。
矢田青少年会館(青年館)
「矢田青少年会館(青年館)」も、同○対策事業として大阪市の運営で建てられた建物です。
青少年の育成を目的として、様々なイベント事や行事が行われていた施設です。
この建物も大阪市の同○行政見直しによって閉館になりました。
そのため、現在は廃墟となっています。
こちらも市民交流センターと同様に、窓ガラスが割られています。
こちらも廃墟化はしてますが、入り口はしっかりと施錠され管理されているようです。
窓ガラス越しに中を見ると清掃時に出たと思われるゴミが置いてあるだけでした。
矢田地区周辺
矢田地区周辺には、「市営住道矢田住宅」という団地があり、昔ながらの民家もありますが何年も放置されているような廃屋が目立ちます。
廃屋は持ち主がいないのかかなり荒れた状況です。
ほかにも廃アパートなどもところどころ見かけられます。
さらに、大阪市が立ち退きなどで得て管理している例の緑フェンスで囲まれた土地も数多く見られます。
最後に
最後に、「矢田地区」は過去に色々と問題があったとされていますが、様々な団体の運動や市の対策によって、現在は他の地区と変わらない多くの住宅が立ち並ぶ住宅街になっています。
個人的には、大阪市による同○行政見直しによって閉鎖された地域住民憩いの場であった施設が今後どのように活用されていくのかが気になるところです。
以上で矢田地区にある廃墟化した同○対策事業関係の公共施設についての紹介は以上となります。
※今回紹介した施設は全て管理されており、中への立ち入りは禁止です。
※この記事に差別的な意図はありません。
※法務省人権啓発活動についてのサイトです。→同○問題(部○差別)に関する正しい理解を深めましょう
追加(2023年)
上記で紹介した同○対策事業関係の公共施設からラスパOSAKAを含む矢田南部地域は大型商業施設と公園として再開発される予定です。
2023年現在、紹介した施設周辺は建物の解体工事が行われいるため立ち入り禁止となっています。