
広島県竹原市の瀬戸内海に浮かぶ「大久野島」。
現在は多くのうさぎが暮らす「うさぎの島」として有名ですが、かつてこの島では旧日本陸軍によって毒ガス兵器が秘密裏に製造されていました。
その機密性の高さから、当時の地図では島そのものが空白として扱われたこともあり、現在では「地図から消された島」とも呼ばれています。
そして現在も島内には、
- 発電所跡
- 砲台跡
- 毒ガス貯蔵庫跡
- 研究室跡
- 防空壕跡
など、当時を伝える廃墟・戦争遺跡が数多く残されています。
今回は実際に大阪から大久野島を訪れ、島を徒歩で一周してきました。
現地で撮影した写真とともに、大久野島に残る廃墟・戦争遺跡と毒ガス製造の歴史を紹介していきます。
大久野島とは?現在は「うさぎの島」として人気


大久野島は、広島県竹原市に属する瀬戸内海の小さな島です。
周囲約4kmほどの島で、本州側の忠海港から船で約15分でアクセスできます。


現在は島内に多くの野生化したうさぎが暮らしており、「うさぎ島」として全国的に知られる観光地になっています。
島には宿泊施設「休暇村大久野島」のほか、キャンプ場なども整備されています。
しかし、現在の穏やかな風景からは想像しにくいもう一つの顔があります。
それが、
「毒ガスの島」
としての歴史です。
なぜ大久野島は「地図から消された島」と呼ばれるのか
大久野島では1929年(昭和4年)から終戦まで、旧日本陸軍による毒ガス製造が行われていました。
製造されていたのは「イペリット」や「ルイサイト」などの化学兵器です。
毒ガス製造は軍事機密として厳重に隠され、島で働く人々も仕事の内容を家族に明かすことが許されなかったとされています。
さらに、その存在そのものを隠すため軍の地図では島が空白として扱われました。
これが大久野島が、
「地図から消された島」
と呼ばれる理由です。
戦争が終わって80年以上が経過した現在も、島の各地にはその時代の建物やコンクリート構造物が残されています。
今回はそれらの戦争遺跡を実際に歩いて巡っていきます。
大阪から大久野島へ


今回は大阪から大久野島へ向かいました。
基本的なルートは、
新大阪駅 → 三原駅 → 忠海駅 → 忠海港 → 大久野島
です。
三原駅からJR呉線で忠海駅へ向かい、忠海駅から忠海港までは徒歩約7〜10分。
忠海港から船に乗れば約15分で大久野島に到着します。




注意したいのが電車と船の時刻。
地方路線ということもあり本数が多いわけではありません。
僕が訪れたときも乗り継ぎがうまくいかず、かなり待つことになりました。
大久野島へ行く場合は、電車より先に帰りの船まで含めた時刻表を確認しておくのがおすすめです。
※船の時刻や運賃は変更される可能性があるため、訪問前に公式サイトで最新情報を確認してください。
大久野島に到着|戦争遺跡を右回りで巡る


フェリーに乗ること約15分。
大久野島に到着しました。
港周辺は観光客も多く、普通に歩いているだけでもうさぎを見かけます。
しかし今回の目的は、うさぎではなく大久野島の廃墟・戦争遺跡巡りです。
僕は港から右方向へ進み、島を一周するルートで歩きました。
大久野島には島全体に戦争遺跡が点在しています。
今回紹介する主な遺跡をマップにまとめました。
大久野島 戦争遺跡マップ



今回は港から右回りに、発電所跡→北部砲台跡→長浦毒ガス貯蔵庫跡などを巡っていきます。
こちら側は観光客が比較的少なく、戦争遺跡をゆっくり見ながら歩きたい人にはおすすめです。


島を歩いていると、早速普通の観光地とは明らかに雰囲気の違う構造物が現れます。


そして、この先に大久野島を代表する巨大な廃墟があります。
大久野島・発電所跡|島最大級の巨大廃墟


大久野島の戦争遺跡の中でも特にインパクトがあるのが発電所跡です。
巨大なコンクリート製の建物が、海沿いに現在も残されています。


ここでは毒ガス工場を稼働させるための電力が作られていました。
当初は発電機3台から始まり、その後増設され、島内の工場へ電力を供給していたとされています。



窓や設備の多くは失われ、巨大なコンクリートの骨格だけが残っています。






※内部は老朽化しているため現在は立入禁止です。
草木に覆われた巨大な建物は、大久野島にある廃墟の中でも特に印象に残る場所でした。
火薬庫跡


続いて現れるのが火薬庫跡です。
大久野島は毒ガス工場が作られる以前から軍事拠点として利用されており、島には砲台や弾薬を保管するための施設も築かれていました。


現在はかなり崩壊が進んでおり、周囲も草木に覆われています。
整備された観光施設というより、本当に森の中に戦争遺跡がそのまま取り残されているような雰囲気です。
島で最初のうさぎを発見


戦争遺跡を歩いている途中、ようやくうさぎを発見。
近くまで寄ってくるうさぎもいて、戦争遺跡の重い雰囲気とのギャップがすごいです。
ちなみに現在島に暮らしているうさぎについて、環境省の大久野島ビジターセンターでは、1971年に小学校で飼いきれなくなった8羽のアナウサギが放されたことがきっかけと説明されています。
「毒ガス実験に使われていたうさぎが逃げて繁殖した」という話を見かけることもありますが、現在のうさぎとは別と考えられています。
北部砲台跡|明治時代から残る戦争遺跡


続いて向かったのが北部砲台跡。




大久野島が軍事拠点として使われ始めた歴史は毒ガス工場よりも古く、1902年には芸予要塞の一部として砲台が設置されました。
北部砲台には8門の大砲が設置されていたとされています。


レンガや石で造られた砲側庫も残っています。
100年以上前に造られた軍事施設が、現在もこれだけ形を残していることに驚きます。
北部砲台跡②


さらに奥にも砲台跡が残されています。
円形になった砲座や地下へ続くような構造物があり、いかにも「戦争遺跡」という雰囲気。


この場所にはかつて「24cm加農(カノン)砲の砲台」がありました。


場所によっては内部に水が溜まり、長い年月の経過を感じさせます。




大久野島というと毒ガス工場のイメージが強いですが、実際に歩いてみると明治時代の要塞と昭和の毒ガス工場という異なる時代の軍事遺構が同じ島に存在しているのが面白いところです。
兵舎跡


砲台跡の近くには兵舎として使われていた建物も残っています。
芸予要塞時代には兵士たちが利用し、その後の毒ガス製造期には製品や原料を置く施設としても使用されていました。


島の歴史が時代によって上書きされていることが分かる場所です。
長浦毒ガス貯蔵庫跡|大久野島最大の毒ガス貯蔵庫


しばらく歩くと現れるのが、
長浦毒ガス貯蔵庫跡
です。
大久野島に残る毒ガス関連施設の中でも特に強烈な場所でした。
ここは島内最大の毒ガス貯蔵庫で、約100トン入る巨大なタンクが6基設置されていました。
現在も内部の壁が黒く焼け焦げています。
これは戦後の毒ガス処理で、施設を焼却した際の痕跡とされています。
ただの古い廃墟ではありません。
実際にこの場所に大量の化学兵器が保管されていたことを考えると、かなり異様な光景に見えてきます。
毒ガス工場のトイレ跡


島内には巨大な軍事施設だけでなく、当時の生活を感じさせる小さな遺構も残っています。
こちらは毒ガス工場時代に使われていたとされるトイレ跡。
こうした日常的な設備が残っていることで、ここが単なる軍事施設ではなく、実際に多くの人が働いていた場所だったことを感じます。
三軒家毒ガス貯蔵庫跡


こちらは三軒家周辺に残る毒ガス貯蔵庫跡。
この周辺にはかつて三軒家工場群と呼ばれる大規模な製造施設がありました。


イペリットやルイサイトなどのびらん性ガスをはじめ、複数の化学兵器関連施設が集中していた大久野島の毒ガス製造の中心地です。
現在、工場そのものの多くは撤去され、跡地は広場などになっています。
しかし周辺には当時の貯蔵庫などが残り、その面影を見ることができます。
研究室・検査工室跡


こちらは毒ガスの研究開発や検査などが行われていた施設です。
白い建物が「研究室」、隣接する建物が毒ガスの効力などを調べる「検査工室」として使われていました。
現在は危険防止のため内部へ立ち入ることはできません。
建物だけを見ると普通の古い施設にも見えますが、ここで化学兵器の研究が行われていたと考えると印象が大きく変わります。
大久野島毒ガス資料館


大久野島の歴史をより詳しく知りたい人に訪れてほしいのが大久野島毒ガス資料館です。
資料館は1988年に開館し、毒ガス製造に関する資料や当時の状況、そこで働いた人々が受けた被害などを伝えています。
通常時の基本情報は、
開館時間:9:00〜16:00
料金:19歳以上150円/19歳未満無料
となっています。
※展示や内部の撮影はできません
※2026年8月現在は臨時休館中
2026年6月に発生した島内の停電の影響で、毒ガス資料館は現在臨時休館しています。
復旧時期については公式サイトの最新情報を確認してください。
自動交換器室跡


こちらは自動交換器室跡(通信壕跡)。
敵の空襲に備えて造られた頑丈な通信施設で、非常時に使用する電話の自動交換器が置かれていました。
現在もコンクリートに残る色から、当時施されていた迷彩の様子を見ることができます。
幹部用防空壕跡


島内には戦時中、多数の防空壕が造られていました。
現在も山肌や道路沿いなどに入口が残っており、普通に島を歩いているだけでも軍事施設の痕跡を見つけることがあります。
こうした遺構が観光地の中に突然現れるのが大久野島の独特なところです。
大久野島の戦争遺跡を徒歩で一周|所要時間は約2時間


これで島を右回りにほぼ一周。
僕の場合、戦争遺跡を見たり写真を撮ったりしながら歩いて、約2時間かかりました。
単純に一周するだけならもっと早く回れますが、廃墟や戦争遺跡を一つずつ見ていくのであれば、最低でも2時間程度は確保しておくのがおすすめです。
さらに毒ガス資料館や休暇村、うさぎを見る時間まで含めるなら、半日程度見ておいた方が余裕があります。
帰りの船を逃すと待ち時間が長くなる可能性があるので、島に到着した時点で帰りの時刻を確認しておきましょう。
大久野島は「うさぎの島」だけではない
現在の大久野島は、かわいいうさぎたちが暮らす平和な観光地です。


しかし島を歩いてみると、
巨大な発電所跡。
森に埋もれた砲台。
黒く焼けた毒ガス貯蔵庫。
防空壕や研究施設。
現在の穏やかな姿とは正反対ともいえる戦争の痕跡が、島の至るところに残されています。
特に印象に残ったのが、うさぎのすぐ近くに戦争遺跡が存在していること。
少し前までうさぎが走り回っていた道を進むと、突然巨大な毒ガス貯蔵庫が現れる。
この「現在の平和」と「過去の戦争」のギャップこそ、大久野島最大の特徴なのかもしれません。
廃墟や戦争遺跡が好きな人はもちろん、日本の近代史に興味がある人にも一度訪れてほしい場所です。
大阪から日帰りでも訪れることができるので、興味がある方はぜひ実際に歩いてみてください。
こちらが「大久野島 戦争遺跡 マップ」です。是非ご活用下さい!



大久野島の基本情報
所在地: 広島県竹原市忠海町
アクセス: JR忠海駅から忠海港まで徒歩約7〜10分 → 船で約15分
島内散策: 徒歩で一周可能
主な戦争遺跡: 発電所跡、北部砲台跡、長浦毒ガス貯蔵庫跡、研究室跡、自動交換器室跡など
※船の運航状況、施設の営業状況は訪問前に公式サイトで最新情報をご確認ください。









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